武蔵野市は70歳~市制施行70周年記念事業 ~
29年度予算には~市制施行70周年記念事業 ~平和で文化的なまちを未来へ継承する~ が計上されています。「市制施行70周年を祝し、これまでの歴史を振り返るとともに、次世代へ誇りをもっ て継承できる持続可能な都市を創造していくため、さらなる歩みを続ける。」ことをめざしています。
≪市制施行70周年記念事業≫
1 武蔵野アール・ブリュット2017の開催 既成の表現法にとらわれずに独自の方法と発想で制作された美術作品(アール・ブリュット)展開催。予算額 3,034千円
2 「中島飛行機関連資料 新規収蔵資料展(仮称)」の開催 これまで調査・収集を行ってきた米国国立公文書館における中島飛行機関連の資料と、戦争関連資料の展示等を行う。予算額 5,244千円
3 「歴史公文書からひもとく市制施行周年行事(仮称)」の開催 市制施行周年行事に関する資料を選別・公開するとともに、「武蔵野市地域映像アーカイブ」の資料とリンクした展示を武蔵野プレイスのギャラリーにおいて展開する。予算額 1,451千円
4 原付バイクご当地ナンバープレートの交付 生誕70年を迎えるゾウの「はな子」を 象かたどったご当地ナンバープレート(125㏄以下の原動機付自転車 に限る)を交付することにより、同じく70周年を迎える市制施行を広くPRする。1,332千円
平成29年度武蔵野市予算の概要 (PDF 2.1MB) ←P21~22 をご覧ください。
むさしのの歴史から
太古の武蔵野台地…火山灰が推積した土地であったため、十分な水が貯えられない広漠とした原野でした。水とともに見える古代人の足跡を見ることができます。
御門訴事件…幕末から明治初めにかけて全国的な凶作が続きました。明治政府は各県に対して飢饉への備えを命じます。武蔵野市域を管轄していた品川県は、農民に貯穀(社倉)を求めました。集団で出穀の免除を訴えるため東京府内の品川県庁へ行進、多数の農民が負傷し、召捕えられる騒動になりしました。この騒動によって、門訴に加わった村々の主だった農民たちが厳罰に処せられましたが、出穀は妥協案で示された量とほぼ同じでした。これは、農民たちの多くの勇気で勝ち取った結果でもあったのです。そして、御門訴事件で流された血は、いつまでも人々の心に刻み付けられました。
武蔵野中央公園…昭和13年中島飛行機武蔵野製作所開設、戦争の末期には、米空軍による激しい空襲が各地でありました。とくに最新鋭の航空エンジン製造工場であった武蔵製作所があったことから、昭和19年(1944年)11月から翌20年(1945年)8月までに10回以上にわたって空襲を受けました。
戦後、跡地に昭和28年米軍宿舎設置、家族持ちの将校用宿舎となりました。昭和46年返還が決定、その後宿舎解体。
跡地に昭和50年「武蔵野中央公園」が計画決定されました。(平成元年 武蔵野市発行「都立 武蔵野中央公園の歴史」より)
詳しくは むさしの百年物語