水俣・明治大学展を見てきました

水俣病事件は、今日の生きにくさにつながっている

水俣・明治大学展 ポスター
水俣・明治大学展 ポスター
1.行政と学者が原因究明を阻んだ 
 落ち着いた控えめな展示スペース。小学生グループがガイドの説明に聞き入っていました。しかし、展示されている内容は峻烈、でした。
 1956年の「発見」から、1968年の園田厚生大臣による公式発表まで12年間、水俣病の原因究明は進まなかったどころか、逆に隠蔽(1959年、厚生大臣は「水俣食中毒特別部会」を解散)したり、うやむやに(1960年、「総合調査研究連絡協議会」を消滅)したり。「御用学者」の工作もひどい。清浦雷作・東京工業大学教授はわずか5日の調査で「有毒アミン説」を提唱。戸木田菊次・東邦大学教授は現地調査も実施せず「腐敗アミン説」を発表。熊本大学医学部が行なった調査結果を覆し、軽んじる発言を繰り返した。エライ人にとっては、水俣の漁民の苦しみよりチッソの生産拡大が大事だったんですね・・・。

2.ネコ踊り病?
 有機水銀は神経を冒します。1950年代の、よだれを流し足をもつれさせるネコのフィルムが上映されていました。現地ではまず魚をたくさん食べるネコに異常が現れ、ネズミが激増したところから「奇病?」と注目され始めたのです。

3.住民の白眼視
 原因究明が進まない中、伝染病・遺伝病と誤解され、被害者は二重三重の苦しみを味わいました。チッソで生活の糧を得ていた非被害者住民にとって、被害者は消え去ってほしい存在だったのでしょう。

4.被害者の訴えに、警察権力で応えた
 補償と謝罪を求める被害者に対し、行政は警察を出動させ、傷害事件と裁判が起こりました。カミソリを手に、江頭社長に血判を迫る被害者の姿。現代ではお目にかかれない死にもの狂いの表情。

5.公式発表のあとも
 1968年、厚生省が「水俣病の原因は、チッソの排水中の有機水銀」と公式に認めた後も、補償は遅々として進みませんでした。発生から50年、2004年ようやく最高裁が国と県の責任を認めましたが、最大多数の最大幸福の追求のかげで、少数者への過酷な抑圧が必然的に起こるという社会構造は今も変わっていません。

6.なぜ明治大学が会場か?
 開催にあたって明治大学は以下のメッセージを出しました。「(略)水俣病事件は、今日の『生きにくさ』につながる政治・経済・社会問題への広がりをもち、近現代総体への、人間存在への根元的な問いを私たちに突きつけています(略)」「(略)富国強兵時代の足尾鉱毒事件当時、本学学生・教員・卒業生弁護士らが事件に積極的に関わったことは知られていません。創立130年を迎えるこの時に、あらためて想起したい(略)」
 明治大学が、水俣病を過去のものとせず、今日の生きにくさにつながるものと受け止めていることに賛同したいと思います。

7.自分の体の水銀蓄積度は? 
 会場の最後に「毛髪水銀調査コーナー」がありました。(写真) 毛髪を採取して依頼すると、2か月後に結果が返ってきます。どんな数値になっているか興味深いです。(500円負担)

8.特産品コーナー
 現在の水俣市は、環境先進都市として過去の辛い経験をプラスに変えようと努力しています。(水俣市役所HP http://www.minamatacity.jp/参照)
漁業を諦めなければならなかった住民は甘夏に希望を託し、減農薬での栽培に踏み切りました。(きばるHP http://www.h5.dion.ne.jp/~kibaru/参照)
特産品コーナーでは、エコネットみなまた(http://www1.ocn.ne.jp/~amanatsu/soapfactory/home2.htm)の石けん洗剤、
ガイアみなまた(http://gaia.iinaa.net/)の甘夏マーマレードを購入しました。

9.開催は19日まで
 水俣・明治大学展は、9月4日(土)から9月19日(日)まで。10〜20時。(日曜日は18時まで。最終日は16時まで) 明治大学駿河台校舎(御茶ノ水駅から徒歩4分) 一般当日1,200円(前売1,000円)、大学生以下600円(500円) 展示の他にホールプログラム7つなど多彩な内容です。(展示会HP参照) ぜひご覧ください。