武蔵境の水のおはなし会をしました。
年末お楽しみ企画として、西園寺みきこと武蔵野・生活者ネットワークが小さな学習会を開きました。
武蔵野市内に分水(用水路)があった?!
武蔵野市主催の「水環境講座 水の学校」受講生のおひとり、良島賢亮(ながしま けんすけ)さんは、武蔵境に生まれてから80年間ずっとお住まいです。その良島さんが講師となったおはなし会では、子どものころだった70年前には、武蔵野市内にはたくさんの小さな用水路がめぐり、その用水路や玉川上水や仙川で泳ぐなど、当時を知らない者には驚くような思い出話しがたくさん聞けました。
武蔵境の水の歴史
1718年頃の古い分水絵図には、玉川上水から分かれた、堺(境)新田分水の記録があります。1771年の上水記には33の分水があり、その中に境村分水が記載されています。分水は主に飲料用ですが、食器や野菜、風呂、洗たくなどの生活用水や農業用水(畑用)にも使われていました。分水を利用する決まりに「分水から新しい水路をつくらない」「分水の中で洗たくや、物を洗わない」などがあったそうです。
えっ、あの道が用水路?!
用水路があった当時の地図をご持参され、見てみると、今の市立第六中学校校舎の北側には玉川上水から分かれた「品川用水」が流れ、都立武蔵高校の東側にも用水路があったことがわかりました。しかし、昭和30年頃、生活排水やごみなどが用水路に混ざり、悪臭の原因であったことから、用水路や仙川の一部が暗きょとなり、現在は道路になっています。
良島さんからのメッセージ
境地域における水路や井戸および池などの様子と変貌など、人々の生活や人情・街の風景などについては、自分たちが各々経験したり、本を読んだりしてみんなで話しあってみてはどうか?また、現在武蔵野市でも抱えている水の問題や、旧水路を確認した後、‟公園と水„“未来の仙川„など「後世のための水と住民の関わり」などをテーマに話しが進展すると、素晴らしいと思います。
参加者からの意見・おすすめ図書
・昔は自分も泳いだ。川や水路が公園をつなぎ、子どもが遊べ、生き物が生息できる池などができるといい。
・集英社新書「武蔵野ものがたり」著:三浦朱門